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A Story of Moovment 002

ずいぶんと前から空は少しずつ明るくなり始めていた。眠りにつく前と目が覚めた後、まったく同じにしか見えなかった藍色の空だったが、今改めて見るともう藍色と呼ぶほど濃い色合いではない。空にバラまかれたような星星は目を凝らしてもほとんど見えず、ただ母星だけが白い細長い影を見せている。左手の空の地平線はいつの間にか淡い、暖かな橙色に染まっている。地平線の色と同じぐらい暖かいとまでは行かない外の空気。息を吐けばまだかすかに白い。

60回目の夜明けは、僕の経験した過去59回の夜明けの少なくとも半分以上とよく似たものになるだろう。2回は長い間雨が振り続け、分厚い雲が消えるといつの間にか太陽は地平線から顔を出していた。5回は母星が太陽を覆い隠した。最初の10回はひとつを除いて記憶がなく、次の10回はもう記憶が曖昧になっている。それでも、よく覚えているもんだ、と星読みのオヤジさんは言う。 ​ 「まだ上がんないね」 隣に住むイナグが小さい妹を乳母車に乗せ、けだるそうな顔で出てきた。前回太陽が沈んで間もなく産まれたイナグの妹は、まだ太陽が昇るのを見たことがない。 「名前、決まったの?」 イナグは首を横に振る。イナグの妹はいまだに名前がない。彼女の両親は最初、2人目の娘が生まれる前に名前を決める予定だったが、残念ながら予定通りにことは運ばなかった。いつまでも決めかねていたのは父親の方だった。母親の方は強引に5つの候補に絞り、2人目の娘にとっての最初の日の出を期限に、夫に最終決定を迫ったのだった。僕がなぜそんなことを知っているのかといえば、1つは鉄の箱家が隣の音をよくからで、 「父さんがまだ決めかねてんの。母さんはもうどれでもいいから日の出までに決めてって言って」 「イナグはどれがいいの?」 「うちはなあ、ナギっていうのがいいかな。なんとなくだけど」 「ふーん」 ​ ナギ(仮にそう呼んでおこう)は淡い橙色に光る雲や、その間をゆっくりと飛び回る雲虫を興味深そうに眺めていたが(実際に何を見ていたかは当のナギにしかわからないし、それに第一このぐらいの子は雲虫が見えるほど目は良くない、と星読みのオヤジさんならそう言うだろう)、やがて地平線の凹凸に鋭く輝く小さな光点をみとめ、今まで経験したことのない”眩しさ”という感覚を理解することができずに泣き出した。(実際に何に泣き出したかは当のナギにしかわからない、とオヤジさんならそう言う)久しぶりに目を貫く強い太陽の光に、僕とイナグも目を細める。 ​ ​「名前、間に合わなかったね」​

ナギの1回目の夜明けは、このような夜明けだった。彼女がこの夜明けを思い出すことはおそらくないだろうから、代わりに僕が記憶しておこうと思う。


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